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かわさきマイスター紹介

靴製造 吉田 良雄さん

世界の舞台支えるスケート靴づくりに

吉田良雄さんはオリンピックはじめ世界の舞台で競っているフィギュアスケート選手のスケート靴を造っています。オリンピック金メダリストの荒川静香さん、キム・ヨナさん(韓国)や織田信成さん、安藤美姫さん、村主章枝さんをはじめ、多くの選手が吉田さんの卓越した技術・技能に支えられて観る人たちを感動させる競技をしてきました。吉田さんは町工場で注文した人の顔、足を思い浮かべ「足に合ってくれるといいな」と願いながら靴をつくり出荷しています。
プロフィール
吉田 良雄(よしだ よしお)さん

新潟県長岡市で生まれ育ち、15歳のとき、東京に出て靴づくりを修業しました。スポーツ靴主体のメーカで野球やサッカー、ラグビー、陸上競技のスパイク、スキー靴、登山靴、ゴルフ靴、スケート靴などスポーツで使う靴をつくるようになりました。1971年、33歳のときに独立し、靴職人としてさらに技術・技能を磨きました。先輩のすすめで小田急の鶴川駅近くに、一緒に仕事をしていた2人と鶴川製靴所を設立。平成18年度認定かわさきマイスター。
町田市在住。鶴川製靴所自営(麻生区)。
これは、吉田さんの技能を紹介する動画です。クリックしてご覧ください。

吉田さんについて教えてください

始めるきっかけは何でしたか?

靴づくりの初期工程の裁断した革
靴づくりの初期工程の裁断した革
私は雪の深い新潟県長岡市で育ちました。
中学生のときでした。働きに行っていた東京からたまに帰ってくる人が革の短靴を履いていました。長岡で革の短靴を履いているのを見ることは全然なかった時代です。それを見た親父が「これからは革靴だな」と言い出しましてね。
ちょうど、そのころ東京の小石川で靴屋をしている親戚が「小僧(職人の見習い)が欲しい」と言ってきました。2歳上の兄貴が行くことになったのですが、兄貴は耕運機が出始めた農機具屋さんに就職したのです。それで、私が見習いとして東京の靴屋へ就職することになりました。昭和28年(1953年)でしたね。15歳のときです。
日本は戦争が終わって段々裕福になり、スポーツを楽しむ人も増えていく時期でした。野球が中心でしたが、スポーツで使う靴をつくる仕事が多くなりました。これが、私の今の仕事を始めるきっかけです。

やりがいは何ですか?

織田信成選手のスケート靴とその型紙 
織田信成選手のスケート靴とその型紙 
朝早くから夜遅くまで、仕事をして、みんな(働いている人、家族)で食べられることがやりがいかな…。
今、靴はデザイン、足型などそれぞれ分かれて造られています。僕は全て一人で造っています。きついですが、お客さんに喜ばれる靴をつくったときは、この仕事へのやりがいを感じます。

長年、継続して技能研鑽に努めることが出来たのはなぜですか? (他の道に行こうと思わなかったですか?)

金具が取り付けられる直前のスケート靴
金具が取り付けられる直前のスケート靴
そうですね、何でしょうかね。(しばらくして、ひとことひとことかみしめるようにして言葉が出てきました)
競争が(靴の業界で)激しい中、お客さんから注文をもらえて、それに応えるためコツコツと靴をつくってきました。靴の職人が少なくなっていくなかで、なんとか、いままで続けられました。
仕事をもらえることが長続きしていることでしょうか。仕事をさせてもらうために、お客さんの足に合う靴を正確につくるための腕を磨くようにしてきました。

苦労したことはありますか?

棚に並ぶ靴底付けのパーツ
棚に並ぶ靴底付けのパーツ
苦労と言えるかどうかわかりませんが、見習いで靴屋に入ったときは職人さんのお使いばかりしていました。職人さんは、お客さんの注文に応える靴を造れるし、お金はたくさんもらっているしね。私らにとって職人さんは〝神様〟です。一緒に入った人は靴を造るところに配属されて靴を造っているのに、私は職人さんのお使いです。お使いが終わってから夜、靴を造るところへ行って、夜12時ごろまで、一生懸命、練習をしました。職人さんがやっているのを見て、仕事をできるようにしろという時代でしたから、技術を身につけるのはきつかったですね。でも、職人さんが教えてくれるときもありました。
職人として仕事ができるようになった昭和30年代(1950年代後半から1960年代にかけて)、スケートブームになって、全国各地にリンクができました。そこの貸し靴造りで1000から1500足を手がけました。リンクが開業している期間は家に帰れないので、自炊しながらの仕事でした。名古屋や神戸など各地へ電気釜を持ってまわりました。きつかったですね。
独立してデパート(三越)の注文を受けて仕事をしていた子育て真っ最中の40歳ぐらいのときは、眠る時間を削っての仕事でした。開店(時刻)に納品するため、午前3時をすぎても仕事をしなければならなかった。身体が丈夫だったから、なんとかできましたが…。
仕事があればいい、仕事がなくなったらこわいと思って、注文をもらったら一生懸命、仕事をしていました。今から思うと、若い頃はよくやったなと思います。

自分が誇れる、自信のある卓越した技能を教えてください

靴づくりの基礎になる各種の木型
靴づくりの基礎になる各種の木型
スケート靴の場合、牛半頭で5足ぐらいしか造れません。
工程は大体、注文者の足を測る、足型をつくる、革を裁断(パーツは13~14枚)、縫製、木型(注文者の足に合う大小6種類から選ぶ)に合わせての底付け(本底、中底、ヒール)、金具(ブレード・エッジ)付けです。
足型は顔に似ていて、お客さんによっていろいろ違います。「柔らかいのを造ってほしい」とか「硬いのを造ってほしい」など、お客さんから注文されます。
とにかく、一つひとつの工程を正確にこなさないと、お客さんの足に合う、注文に応じた靴はできません。始めにいい加減にしておいて、あとで正確にしようとしたって、正確にできません。何をつくるにしても同じだと思いますが、「ものづくり」は土台から正確にしなければならない。僕は靴造りで、正確に仕事をするようにしてきたことが、お客さんから注文をもらえ、仕事をさせてもらえる力になっているのだと思います。

ものづくりについて教えてください

ものづくりの魅力を教えてください

間もなく出来上がる靴です。
間もなく出来上がる靴です。
「ものづくり」の魅力ですか。うーん、やはり、お客さんから喜ばれた靴を造れたときの…。(しばらく間をおいて)お客さんに喜ばれるのが靴をつくる魅力で、いままでこの仕事をしてきました。

後継者を育成するため、何に取り組まれていらっしゃいますか?

昔は3年ぐらい職人のお使いをし、親方や職人の仕事を見ながら自分で技術を身につけていました。今は、靴を造る学校で勉強することもできます。学校を出ただけで、技術を高めることはできません。後に続く人を育てるために私も役に立つようにしなければと思い、仕事をしながら若い人に教えています。
私の30ちょっとの息子が27歳のときに、靴造りの世界に入ってきましてね。いっしょに仕事をしています。

これから「ものづくり」を目指す方たちへアドバイスをお願いします

靴の素材となる裁断前の革を広げる吉田良雄さん
靴の素材となる裁断前の革を広げる吉田良雄さん
昔は手に職をもっていれば「食いはぐれがない」と、言われました。今この言葉はどうかなと思いますが、手に職を持っていれば何か役に立つと思います。
気が強い人は自分のしていることが上手くなくても続けています。「ものづくり」はこのことが大切だと思います。
私には得意なものがない。何をしても上手くない。でも、自分のしたいことを長く続けてきました。私は気が強いのかな…。上手くなくても良い、仕事に対して気を強くして長くやっていれば、技術・技能は身につきますし、高められると思います。

最後にこれからの活動について教えてください

この工場で職人さんと靴を造っています
この工場で職人さんと靴を造っています
みなさんに喜んで履いていただける靴を造るために頑張って仕事をします。今までは、売っている方からの注文を受け納品していました。このたび売っている方の声をかけられ、前に出て売ることにしましたが、私のとこへ来てくださった方に買ってもらうようにしました。
(靴造りを)やりたいという方がいらっしゃれば受け入れたいと思っています。

どうもありがとうございました。吉田良雄さんは「電話がかかってきたら、うまく話せなくてね。電話は苦手」と苦笑しながら、自分の性格を語りました。小田急・鶴川駅近くにある吉田さんの6人で働く工場内は、革を槌で打ち付けるコンコン、トントンの音が響きます。そんななかで、吉田さんは納期が迫った注文の仕事が忙しい合間をぬって、自身の仕事について話しました。吉田さんに、吉田さんの抜きん出た技術・技能についていろんな角度から質問しました。どんな問いにも「お客さんの注文に応えるため…」と答えるだけでした。生涯、自分を高めるため、もっともっと精進しなければならないとの思いを、まわりの人に感じさせる言葉でした。
【問合せ先】  
鶴川製靴所

■所在地   麻生区岡上111-3
■電話    044-988-4199
■FAX         044-988-4199
■営業時間  9:00~19:00
■休み    土・日・祝